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なぜ今、越後上越100年の計なのか!

●春日山城の原稿の前に

上越地域がもっと発展するようにと願ってこのサイトを作りましたが、作ることの大きな原動力の一つとして、最近話題の新幹線の駅(仮称、上越駅)の設置場所に関することがあります。
このことでの私の意見をお聞きください。(約3分ほどで読み終わりますのでよろしくお願いいたします)

上越に新幹線が入ることはいいことなんですが、なぜ既存の中心駅(直江津や高田)に新幹線を入れなかったのか??(いまさら何をいうのか。決まったことだから仕方ないじゃないかとのご意見も多くありますが)、

私にとっては、このことがいまだに最大の疑問点であり、上越市にとっては向こう「100年の大失策」であると考えているからです。

なぜ単純に、直江津や高田、春日山などの中心地に入れなかったのでしょうか。誰に話してもそうだねえ普通直江津駅だろーと、返ってきます。
このことは既存の直江津駅と高田駅が残念ながら確実に衰退してゆくことをも意味しています。
東京との交流客がその駅を使わなくなるのですから、大阪や福岡など大都市とは根本的に違いそんなに大勢の人間が利用しなくなります。

それ以上に、金食い虫と想定されている第3セクターの路線にも大きなマイナスの要素になります。
脇野田が地域交通の起点になるまでは、おそらく100年近くかかるでしょう。
第3セクターは孤立したローカル鉄道の意味合いが非常に強くなります。
上越は人口が残念ながら減少している都市で、魅力もほとんど開発されていませんから、どんな工夫をしても先が知れているのではないでしょうか。
おそらく収支どころではなく、イベント等に行政の補助は当初入りますが、経年につれて第3セクターの経営はざるに水を注ぐような状況が予想されます。

脇野田を将来上越の政治の中心駅とする考えならば、納得できますが、通過駅にもなる可能性もあり、(全列車が止まらない!!)お粗末この上のない失態。(全部止まることをもちろん祈ってますが)

またこのことを何も疑問に思わずに、脇野田再開発なんて文言を上越市民が声高にとなえている現状に強い危機感を持ったからです。

たとえば直江津駅に入れてあれば、現状の都市交通の中心地に設定することとなり、第3セクの連結問題、佐渡航路(直江津港)との関連、都市再開発、などの点で脇野田よりはるかに現実味を帯びた構想が可能となります。

すでに決まったことですから、こんなことを言うことはおかしいと考えるのは当然のことですが、脇野田にできる新上越駅が、真に上越の今後100年の発展のために計画されているのか、今後十分に注目してゆきたいと思います。

直江津駅の衰退は、見たくもありませんがこれも否応なしに現実となってくることでしょう。

高田や直江津駅との連携、佐渡航路との連携など、都市を形成する時期に交通網の構築は都市構築の土台であり、新幹線の上越駅はこの最悪の立地環境からどうやって上越の今後100年を計画してゆくのでしょうか。

むしろ、新上越駅は単なる乗り換え場所としてハード投資はせずに、既存の高田駅や直江津駅にどんどんお客を誘導すべき方策を考えるべきと思います。

新幹線の新しい駅に関連して、この1,2年にできる(決定される)ことは、今後の上越地域100年を決める。といってよいでしょう。

まさに謙信公のお膝元越後にふさわしい交通網の計画は、それは既存の直江津や春日山に新幹線を入れるという計画よりも、さらに大胆で100年先を見通した先進的な計画でなければなりません。ハードルは非常に高いものです。
JRの役人や関連の請負企業が造ったような、計画では上越市は埋没してしまうでしょう。

日本国内のほかの都市を参考にするのも良いでしょうし、海外の都市を参考にしても良いかと思います。
都市の国際化は今後必ず必須となります。
斬新な企画やアイデアで、とにかくチャチな構想はしないでほしいですね。

おそらく100年後には、道州制となり上越市は日本海側の玄関となっているでしょう。
長野や群馬など海のない県にとっては、あこがれの都市です。

それに答える回答をここ数年で出しておくことが、100年先の住みやすく、楽しく、活気ある上越市を造ることになるのではないでしょうか。

是非、今後の開発計画を見守ってゆきたいと思います。
繰り返しますが、残念ですが直江津や高田に入っていない分、その何倍もアイデアに富んだ良い駅にしてもらいたいですね。

このことに関連してですが、上越の最大の財産は、私は未開発の春日山城であると私は考えていますし、謙信公の春日山城開発(復興)がどれくらい全国的ににインパクトがあるのか、そんなページも作ってゆきたいと考えています。


●謙信公祭について

平成22年は猛暑ですが、今年も謙信公祭の時期となりました。
ガクトが再度、来越して最高の盛り上がりを見せ、観客もそれなりに増えたようですが、それはガクト謙信を見るために集まった人数ではないでしょうか。

お祭り関係者以外の観客は、ガクトを見たらそれで帰ってしまいます。

ガクト以外に見るところ(メインのハード)が、ないからです。

歴史資料館なども、上越市が企画して展示されていますが、中心になる大物(城)がないんだから、観光を目的としたお城の行事としては毎年迫力のないものになっています。

祭りが終わればそれでおしまい、あとは春日山は閑古鳥が鳴いている状況。
お城好きな人や、物好きな観光客がたまにきますが、おみやげ屋もほとんどない状況ではないでしょうか。

整備されたとは聞いていますが、これでは、春日山や謙信公祭へのリピーターなど期待できるはずがありません。
まして、謙信公祭で上越地域に観光地並みの収入が上げようなんて構想はさらさら浮かんでこないでしょう。

大河ドラマが幸いして、山城ブームもあり春日山城は一躍、全国の注目する山城となりましたが、今後最優先してほしいのは、春日山の山頂に当時の建物を再建した建築物です。。。

春日山城を再建することが、今後100年の大きな課題ではないでしょうか。

中心となる、(平城では天守閣に相当する建造物)櫓(やぐら)などの建造物を1日でも早く造るべきで、それにともなった戦国時代の山城というものを忠実に再現できればこれは非常に大きな観光資源となります。

具体的な例をこのホームページにて提示できればと思っていますのでお楽しみに。

資金は行政指導で民間からの寄付を中心にして集めてゆくしかないと思っています。

熊本城の再建例も参考にご覧ください。熊本城公式ホームページへのリンクです。
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/

この都市は民間の資金や寄付を本当に上手に利用していますし、本丸を中心とした行事で年間200万人の観光客を集めています。
現実の話として200万人の落とすお金はたいしたものですよ。。。

熊本市は熊本城を中心にして実にがんばっていますね、それに対して上越市はどうでしょうか?

熊本市とは大きな違いで(上越市との根本的な違い)、上越市教育委員会、春日山城保存管理計画書では春日山城は再建せず、天守部分は松が生い茂るままで残し、松を吹く風にふれ、戦国時代の強者どもを思いしのべばよい、としています。

本当に是でよいのでしょうか?

謙信公祭を毎年継続して発展させてゆくなら、春日山城の再建は必須命題であり、謙信が最盛期を迎えていた時期の壮大なる山城を再興することは我々の使命ではないでしょうか。

高田城は3重の櫓しかありませんが、これからの整備次第で観光収入を考えると大きな可能性も秘めています。本丸御殿の再建はまだ希望を持たせてくれる試みだとは思いますが。
この二つのお城を中心とした観光政策を推し進めてゆくことが、上越100年の計の根幹をなすものと判断しています。



山城は一般に記録が少なく、全国で再建した例はまだありません。
ただ上越を訪れる観光客は、謙信の銅像や春日山神社をみても、いまさら満足はしないでしょう。リピータにもなりようがありません。
再興された春日山城に上ってこそはじめて、春日山城にきたという実感がわくのではないでしょうか。

お城を整備・再建することは、上越に観光に来てくれる方への、上越市民としてのある意味で感謝の気持ちでもあるのではないでしょうか。

メインになるものが強烈なインパクトを持つようになれば、他の観光、佐渡航路、海水浴、直江津港開発、スキー、温泉観光、などそれにつれてプラスのイメージがどんどんわいてくるのではないでしょうか。

謙信公の義の心にすこしでも観光客の方に接していただきたい、それがためにはきちんとした設備(城郭)を作り、迎えることが大事と考えます。

そして、上越市民にとっても、お城を大事にすることという一つの行為は、ふるさとを大事にするといった、郷土愛的というものが生まれ、いずれは上越市独特の新しい風土がうまれてくるのではないでしょうか。

私は、再建された春日山城を舞台に繰り広げられる、近未来の新しい謙信公祭に是非期待をしたいと思います。


●地域の首長の仕事!

上越市の人口は、毎月減ってきています。寂しいことですね。ここでは首長について考えてみたいと思います。
都市のトップ(地域行政のトップ)になる人材の度量についてですが、最良の首領とは
どんな人材のことをいうのでしょうか。

なぜこんなことを??、といいますと、いままでに戦国時代のお城を調べていて、多くの城主の記録を見る機会がありましたが、それらを学習するにつれ、成功したというか名を残した地域行政のトップにはある一つの共通した項目(政策)があるように感じているからです。

それは何かといいますと、すべての有能な領主・首長は、第一に地域の産業・工業・商業を強力に育成し、民間に資金力がつきやすい政策を大胆に実施していることです。

その結果として、治める領地の人口は必ず増加傾向をたどっています。

逆に言えば、人口が減少し、民間の資金(個人資産)が減少するような状況をだまって見ているような領主はどんなに行政能力があろうともダメ領主ということになります。

今日は平成22年8月30日ですが、現在でたとえると、ダメは、ちょうど現在の民主党某首相のような人です。
言葉ではうまいこといっても行動が全くついていない、(某首相ファンの方には大変申し訳ないですが)保身のために一生懸命で、借金をしてまで●●手当など、とんでもない話ですね。
株価が下がり、経済が疲弊してゆく中、何も手を打てない首相。
戦国時代ならとっくの前に家臣に討ち取られていることでしょう。

ちょっと脱線しますが、民主党は次期衆参同時選挙では確実に完敗し、もう一度自民、民主党あわせガラガラポンで新しい指導者が霞ヶ関からではなく、地方から生まれてくることでしょう。
国民はもう既成の政党には満足せず、無名の全くしがらみのない新人を期待してくると予想しています。
もし、自民党が復活するとするならそれは奇跡ですが、たぶん戦争や天災がらみではにでしょうか。

戦国時代のような有力な人が何名か地方から名前を挙げ、その後に本格政権が誕生するまで。。
いったいどんな人たちが出てくるのでしょうかね、今から楽しみです。
謙信のような人も出てほしいですねー。

もとに戻しまして、名前がしれた戦国時代の信長、秀吉、家康などの3名はこの政策をまず第一におこなった代表的な首長です。

信長は、ご存じの楽市楽座で安い税金で商業の奨励、陶器の産業を奨励しその中でも瀬戸は瀬戸物の代名詞になったことで有名ですね。

秀吉は、やはり、堺の商人との交流でしょう。秀吉といえば信長のファンクラブ代表のような人で信長大好き人間ですから、信長のやり残した政策を当初忠実にやり抜こうとしていましたから、やはり金儲けがうまい。

家康は、秀吉により関東への領地替え(関東移封)をされましたが、この広大な関東地域を手にしたことが蓄財の大きな要素といえるでしょう。
朝鮮出兵で渡海を免れ兵力と財力の消耗を免れたことも、すばらしく運の良い人です。

徳川700万石といわれた財産も、佐渡金山など重要鉱山をおさえ、貨幣作成も独占し経済の根幹もおさえるなど、他の大名の追随を許さない圧倒的な権力基盤をつくりました。

謙信は3人よりちょっと前の年代ですが、やはり際だっているところは佐渡金山開発と、アオソの栽培でしょう。
直江津の港を交易の手段として選んだことも成功の原因ですし、やはり豊富な資金力に支えられていたようですし、経済活動を非常に重要視した統治政策をおこなっています。

いずれにせよ戦国の大名は、刀を振り回して戦に、というイメージが強いですが、決して戦に強いばかりではないんです、簡単に言えば「・・・超お金持ち・・・」「セレブ」だったんですよ。

その算段をしっかりやって民衆の懐を暖めて、そうすれば戦にも強くなれる人材も集まってきた、ということになります。

だからもっと進んだ解釈をすれば、都市の首長は大企業の社長とある意味では同じであり、常に最前線の営業マン(トップセールスマン)であり、さらに新しい産業を生み出す、スーパーアイデアマンでなければならないということです。

そのためのブレインをたくさん抱え込むのも結構で、秘書が持ってきた仕事にはんこを押すだけ、決められた会議に出るだけ、箱物を作った、たとえば図書館をつくった、や、子供手当を増やしたとか(あまりいい例ではないんですが)そのような行政は役人諸氏に任せておけば良いんですよ。

肝心なことは、首長とは産業(商工業)を育成でき金儲けが上手でなくては本当の首長とはいえません。

最近は官僚が政治家になったり、事務屋から首長になるケースが多いですよね。
首長は事務屋ではいけないんですよ、減税をする市長なんかは全然偉くありません、そうではなくて産業や商業を発達させて地域に金が落ちてくくるようにすれば民間の資金が滑沢となり税収入も無理なく増えてくる。

人間、収入が確保され豊かになれば、社会のインフラも同時に整備され、税などももらうことよりも納めることに不自然さは感じなくなるのではないでしょうか。

一定の地域を発展させるには、市長や知事自らがセールスマンや産業の開発者になれるかが、最も重要なポイントと考えますがいかがでしょうか。

ちなみに上越市は、毎年1000人ずつ人口が減っているようです。人口が減っているということは、行政の方針はいまいちかな。ということでしょうか。

いまのところ上越は「残念」といったところですね。

今後上越の指導者の方にも、うんとがんばってもらって、近い将来には上越に強固な資金力をつけてほしいですよね。

本文を、最後まで読んでいただきありがとうございました。
このホームページにまだ多くのコンテンツがありますので
そちらにも、目を通していただければ幸いです。

熊木 寛

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